『私のとなりの黒目川』

立教大学 観光学部文化交流学科 2年
武藤 真白

 

 

 

 2021年3月31日、私の上京はひとりぼっちだった。愛知県から大学進学のために埼玉県へ移住してきたので、周りには家族はおろか友達もいない孤独からのスタートであった。4月3日、引っ越し作業が終わり家族は愛知県へ帰ってしまった。その後は、他の大学へ進学した友達と毎日のように遊びながら寂しさを紛らわしていたが家に帰れば結局またひとりぼっち。ひとりになればすぐに隠れていた寂しさや不安が顔を出す。

 慣れないオンライン授業を終え一息ついた夕方、いてもたってもいられなかった私は気が付けば、通学のために買った慣れないおニューのスニーカーを履き外へ出ていた。まだ踏み込んだことのないところへ行ってみようといつもとは逆の方面へ歩き出した。夕日に目を細めていると気が付けば私の目の前にはさらさらと流れる清らかな川と美しい桜並木が現れた。黒目川の辺りまで来ていたようだ。

 黒目川は西武バスの新座高校駅から約5分歩いたところに現れる。妙音沢の流れが黒目川と合流するあたりから西方向にかけて桜がズラッと並んだ堤防がある。偶然にも私はこの桜並木に出会うことが出来てしまった。妙音沢は平成の名水百選にも選ばれた、雑木林内に湧き出ている清流だ。そこにはきれいな水でしか生息することのできない生き物も見られ、貴重な植物も多く自生している。だからなのか。黒目川に近づいたとき駅の周りの通勤通学で早足などこかイライラしている世界とは一線を画すまったりとしていてクリアな空気を感じた。毎日家にこもり一人で受けるオンライン授業、まだ完全には心が開けていない大学での友人関係、親元を離れ毎日の義務となってしまった家事、ふいに隣の部屋から聞こえてくる物音、物覚えのないインターホン、日々の小さな一つ一つが私の中で大きなストレスとなって今にも爆発してしまいそうだった。モノクロになってしまっていた日常の中にふと、かわいいピンクの花びらが舞い落ちてきた。

 パソコンと何時間もにらめっこして、それが終わればスマートフォンでネットサーフィン。そんな毎日を繰り返していた時、気が付けば自然と触れ合うことなどなくなっていた。黒目川についたときふと深呼吸をしてみた。すると、桜の優しく甘酸っぱいような香りが私の鼻をかすめた。私の心の中にも桜がぱっと咲いた。桜と黒目川が私のカラカラに乾いた心を潤してくれた。来年は大切な人とこの桜が見たい、そう思うようになった。

 桜はもう散ってしまった。でも私の心の中ではずっと満開のままだ。私はつらいことがあると黒目川へ歩き出すようになっていた。近くのベンチに腰を掛けランニングしている人、犬の散歩をしている人、顔を見合わせ笑いあっているカップル、いろいろな人を観察するのだ。すると、たまには走ってみようかなとか犬飼いたいなとか一瞬でも悩みを忘れられるのだ。

 2022年4月10日。履きなれたスニーカーをはき、いつもの道をマック片手に軽快な足取りで歩く。激動の大学1年生を駆け抜け、埼玉県民2年目に突入した。行きつけのご飯屋さんも出来た。あんなに理解できなかった履修登録も早々に済ませ、明日からは念願だった対面授業が毎日のように待っている。30ピースのナゲットはひとりじゃ多すぎる。でも今日は一瞬でなくなってしまった。1か月もうすればきっとこのナゲットをシェアした友達と、授業が眠たいだのやっぱりオンラインがよかっただのグチグチいうのだろう。でもそんな時はまたそいつと一緒に黒目川へ来ようと思う。去年はひとりで見ていたあの川を大切な人と見ている。それだけで十分幸せだと黒目川に来ると思い出すことが出来るのだ。