『100メートルのオアシス』

立教大学 観光学部交流文化学科 2年
田子 聖佳

 

 「つぎ、とまります。」この音声、いつぶりに聞いただろうか。いつもなら授業が終わればスクールバスに乗り、志木駅から徒歩で家に直行するはずの私は今、路線バスに乗っている。心配性で一人で見知らぬ土地を歩くことが苦手な私が小さなひとり旅をしているのだ。この旅が始まったのは今から約20分前のこと。朝霞台駅から西武バス「ひばりが丘駅北口」行きに揺られ、「新座高校」に到着した。Suicaの「ピピッ」という音と共にバスを降り、方向音痴の私はすぐさまスマートフォンの地図アプリを開く。それなのに着いて早々しくじった。一番近くの市場坂通りの入り口を見逃し、別の入り口まで倍の距離を歩いてしまったのだ。しかし、やっとのことで見つけた「探し物」は達成感を与えてくれた。

 新座市の南部にある平成の名水百選の一つ、「妙音沢」。講義で紹介して頂いてから、行くならここと決めていた。入り口に立つと目の前には緑、緑、緑。でもこのたくさんの木々がじりじりと照りつける日差しを日傘のようにガードしてくれたおかげで、体を伝っていた汗が引いていった。遊歩道を進んでいくと下り階段も現れ、このきつい感じ。小学生の時に林間学校で登った山道を思い出した。必死になっていると、それと同時に水の音と雨の日のような匂いを察した。環境保護のために整備された木道に上がると、思わず目を見張った。ガラスのように透き通った水がわずかなうねりを伴って流れている。雑草林の間から漏れる少しの光が反射して水面がキラキラと輝く様子は、まるで宝石が散りばめられているようである。ありふれた景色かもしれないけれど、絵に描いたような情景はまさに「水紫山明」であろう。そんなことを思いながら、私は水の流れを追いかけるようにして歩いた。「コンコン」と木道が軋む音がまたいい雰囲気を演出している。その間私は何も言葉を発さずにただただ感覚を研ぎ澄ませていた。肌をなでる風が涼しくて、全身にミストを浴びているかのようだ。しーんとした空間に「チョロチョロ」と規則正しく刻まれるリズム。心が落ち着いていくのが分かった。さらに木道を別の方向に進んでみると、川沿いの道に出た。また水の音が聞こえる。子供たちの声も聞こえる。ここは水遊びができるみたいだ。水に足を入れている子供たちとは対照的に、私は控えめに手を入れてみた。思ったよりも冷たくて、一瞬身震いがした。しかし、慣れてくると気持ちがいい。やっぱり自然というものは実際に触れてみないと分からないものだ。はしゃぐ子供たちの声。それを笑顔で写真に収める父と母。なんて微笑ましい光景だろう。何だか子供に戻りたくなってきた。子供って素直でいいな、悩みなんてなかったな…。はっ、いけない。大学生の私は大学生という限られた時間を精一杯生きなければ。過去を羨ましく思うのではなく、未来のことを考えていよう。いつの間にか思い耽っていて、一人でいることなど忘れていた。

 清流が黒目川に注ぐまでのわずか100メートルほどの道でこんなにも色々な感情が生まれるなんて。私はこの場所という場所を全身で感じていた。ここを訪れる人々は多種多様な目的を持っている。けれど、忙しない日々や悩みを忘れ、ゆったりと流れる時間を楽しむことを誰もが求めているのではないか。そんな気がした。帰り道は何だか寂しくなってずっとここに居られたらいいのにと思う自分がいた。

 ただ通っている大学があるというだけの新座を探ってみると、地域住民の遊び場や憩いの場となり、人々を非日常的な空間へと誘う素敵な場所があった。「さあ、次はどこに行こうかな」。そんなことを考えながら、停留所で「新座めぐり。」のサイトを開く。「プシュー」。画面に夢中になっていて、バスが来たことに気付かなかった。「癒されたくなったらまた来よう」。私は穏やかな気分でステップを上った。