『ほしのこえは聴こえなくても』
立教大学文学部文学科4年
小林 紗彩
6月某日。雨のち曇りのち晴れ、の曇りの部分で、私は新座に降り立った。ここに来るのはおそらくはじめて。なのに、駅の前に広がる風景になんとなく懐かしさをおぼえるのはどうしてだろう。首をかしげつつも新座駅南口のロータリーを出て、国道を進む。青三角の看板に書かれた数字は254。つまり、国道254号。このうち新座周辺を含む一部区間は、江戸時代の街道に由来して川越街道とも呼ばれている。けれど目的地へとのびる道は街道の名残なんて微塵も感じさせず、気が遠くなるほどまっすぐで、羨ましさすらおぼえる。国道は得てして、人間に厳しい。車のために誂えられたかのような道を、肩身の狭い思いをしながらひたすら歩いていく。整列する巨大な看板を見ていると、人とすれ違うだけで精一杯の自分が小人になったみたいに思えてくる。
歩いているとき、通り過ぎる交差点の名前を見るのが好きだ。野火止。平林寺。どこかで聞いたような名前。水道道路。なんだろう、それ。水中都市と化した新座が脳裏をよぎる。(後で調べてみたら、水道道路は水道管が地中浅くを通っていた時代に保全のため敷かれた道路だそうだ)
水中都市でこそないがほとんど水中のような湿度をした新座を歩くこと、30分。国道から遠慮がちにのびる道に入ると、途端に等身大の町があらわれた。どちらが本当の新座なのか。戸惑ってしまうほどに、がらりと印象が変わる。住宅の隙間を縫うようにして坂をのぼると、途端に視界が開けた。目の前に現れたのは、細い階段と眼下にひろがる新座の街並み。
ほしのこえ階段。
それが今日の目的地、地図にも載っていないこの階段につけられた名前だ。
『ほしのこえ』という映画がある。『君の名は。』などで有名な新海誠監督がはじめて作ったアニメーション映画だ。壮大なサイエンス・フィクションと少年少女の淡い恋愛が混ざり合った作品で、埼玉県と宇宙が舞台となる。そして、この作品の重要な場面でたびたび登場するのが新座市にあるこの階段、通称「ほしのこえ階段」だ。
その階段を上から見下ろす位置に、私は今立っている。少女が未来を語る覚悟を決めた階段。少年が過去をしまう決意をした階段。映画とは違って、バス停もなければ雨も降っていない。ドラマチックなものなんて何もない、正真正銘のただの階段。空は曇っていて、雨上がりの地面からは不快な熱気が立ち上がっていて、雑草のまわりを虫が飛び交っている。どこにでもあるような、それでも鮮明にうつる階段を、少しの緊張感を伴って踏みしめる。おりる、のぼる、またおりる。青、紫、ピンク。段差に沿うように色を変えるアジサイに、その下の土を夢想する。車の音がいつの間にかハチの声に変わっている。土に降った雨のにおいは、コンクリートに降った雨のにおいとこんなにも違うのか。足首をくすぐる濡れた草の感触。不快なはずなのに、それすらも楽しいと思っている自分がいる。
幾度目かの下りのあと、少し離れて階段を振り返る。映画で幾度となく映された、けれど映画とは違う景色。アジサイに縁どられた階段。最後にもう一度、階段をのぼる。『ほしのこえ』の彼女たちは、この階段から宇宙へと飛び立っていった。私は次、どこへ行こうか。このあたたかい町からだったら、どこへでも行ける気がした。
