『伊勢物語と新座、野火止』
立教大学観光学部観光学科3年
木山 みつ希
新座市にある大学に進学することになり、県外出身の私は一人暮らしをすることになった。家具や家電を揃えるために父が運転する車で新座のまちを走っていると、カーナビに示されたのは「野火止」という地名。「火」という漢字が含まれているだけで、なぜか怖い印象を受けた。怖くなかったとしても、いかにも何かしら由来がありそうな名前だ。私も親族も埼玉県に縁もゆかりもなかったため、当時は埼玉の地を歩くだけで新鮮な感覚をおぼえ、わくわくした気持ちになったものだ。ちょっとしたことでも地元との違いを見つけては驚いたり、戸惑ったり。この地で人生初の引越しを経験した私は、生まれたばかりの子供のように鋭い感覚を持っていた気がする。そんな中で目に入った謎の文字列「野火止」はやはり私の好奇心をくすぐり、そわそわとさせた。私の指はすぐに動き、インターネットの検索バーに「野火止 地名 由来」と打ち込んでいた。いくつかの検索結果が出されたなかで、ある一つの説が私の興味を引いた。その説によると、野火止という名の由来は遥か昔、平安時代にまでさかのぼるという。平安時代に成立した文学作品として有名な伊勢物語。主人公の男について、彼の恋愛模様を中心に人生の様相を和歌と文章で表現した作品である。さまざまな規律や規範にあふれた時代を生きる彼は、時に喜びに浸り、時には大きな悲しみに直面する。時代・環境の影響を受けて変動する彼の感情は、まるで波のよう。私も高校生の時に古典の授業で学習し、受験勉強の際に何度も読んだことがある作品だ。高校生であった私には少しばかり大人っぽくて刺激的な内容だなと感じられたのを覚えている。そして、彼はその非常に濃くて深い人生の中で野火止の地を訪れていたと言うのだ。彼をこの地へ導いたのも、やはり女の存在であった。その女は野火止周辺一帯を支配していた人物を父親に持ち、決まった婚約者も既にあった。しかし、あるとき女の父親の招待によって主人公の男がやって来る。こうして二人は出会い、恋に落ちた。しかし婚約者を持つ娘とのそのような関係を父親が許すはずもない。二人は駆け落ちを決意した。二人で広い広い武蔵野の野原を必死に逃げ続けた。とうとう追っ手は二人を見つけやすくするために野草に火を放とうとする。そのとき、危険を感じた女は歌を詠む。
「武蔵野はけふはな焼きそ若草のつまもこもれり我もこもれり」と。
「武蔵野を今日は焼かないで。男も、私も隠れているから。」
それを聞いた追っ手は彼らを見つけて女を連れ戻し、男も捕えられてしまう。こうして二人は引き裂かれることになったのだ。女の詠んだ歌は野火の拡大はもちろん、二人の関係をも止めた。この伊勢物語のなかにある一連のエピソードが「野火止」という地名の由来になった、という説に私は興味を持ったのである。
新座駅から歩いて30分ほどであろうか。道路沿いに突如現れる大きな森林。平林寺の敷地は広く緑に覆われている。総門から平林寺に入り、山門、仏殿を抜け、さらに森を進む。大河内松平家の廟所を過ぎ、またさらに奥へ歩いていくと、こんもりと盛り上がった小さな山が見える。野火止塚だ。一説によると、女はこの塚の辺りで歌を詠んだのだという。小さく静かに佇むこの塚には、二人の悲哀や絶望が埋まっているのかもしれない。そのようなことを考えていると、塚に生い茂る野草に命の動きを感じられ、私は神聖な大自然の中で立ち尽くしていた。
人々がおだやかで、なんだかぽかぽかと心温まるまち。私が2年半弱を新座で生きて感じたこのまちの印象だ。その一方で、こんなに平和なまちの歴史には、容赦なく終止符を打たれた二人の激情と、果てしない絶望や悲哀が刻み込まれているかもしれない。大きな権力の干渉に脅かされることなく、心の赴くまま自由に学び、遊び、恋愛し、生きている私たちは、もしかしたらその胸痛む歴史の延長線上にいるのかもしれない……
