『王道からは見えぬ小さな幸せ』

十文字学園女子大学 教育人文学部文芸文化学科 2年
菅原 沙季

 

 

 スマホのアルバムには紅葉がきらきらと輝いている。これから綴るのはそれを撮影した時の話だ。

 十文字学園女子大学に入ってから半年が過ぎ、大学生としての生活にも慣れてきた頃、授業で新座について知る機会があった。その授業を受けている際に自分が新座の街をほとんど知らない事に気が付く。知らなくても大学生としては過ごしていけるが、「4年間通う学校の周辺を全く知らないというのも問題ではないか」そう思った私は、授業の一環としてトラベルライティングを書くという絶好の機会に合わせ、最も有名どころと言っても過言ではない平林寺へ友人と向かう事にした。授業では散歩と表して学校周辺を見て回ったが平林寺までは往復時間が足りず、行くことが出来なかったというのも向かう理由の一つである。寺を見るのはオタクと言えるほどではないが好きであったため、少し楽しみであったのだ。その望みを叶えるためにも平林寺へ向かった。

 新座駅から平林寺へはバスが出ていたが、散歩もかねて歩いて向かうことに。コバトンが描かれている看板の案内に沿いながら歩いていくと、住宅地を沿う道から車通りの多い道へ、そして授業でも歩いた静かな道へと変わっていった。暫く歩いていくと授業では通らなかった道へと続いていく。初めて通るその道は行き交う人も疎らで、歩くのに最適な道であった。葉の隙間から秋の日差しが射し込む様子は、普段自分が歩いている道よりもなんだか心が躍るような美しさがあった。舗装されたコンクリートではない地面。キラキラと光が反射している野火止用水。植えられた雑木林が風に吹かれてサワサワと音を鳴らしている。ただ道を歩いているだけであるはずなのに、目的地に向かう途中であるはずなのに。ありふれているはずの風景が自分の心を揺さぶっていた。

 平林寺までの道のりは2.7㎞と歩いていくには少し億劫に感じる距離。しかし、そんな距離なぞ感じられないくらいに周りの景色は美しく映った。友人と他愛もない話をしながら歩く。時折紅葉を見つけて止まり、写真を撮る。雲一つない晴天の中紅く色めいた紅葉の写真を何枚も撮っている自分がいる事に驚きを隠せなかった。普段であれば風景の美しさを感じる事はあっても自分から積極的に写真を撮るような事はなかった。そんな自分が足を止め、何枚も写真を撮っている。そして友人と互いに写真を見せあっている。いつもの自分とは異なる自分は、新座の何気ない小道に心を奪われていたのだろう。今思い返せばなんだか恥ずかしくなる。けれど、自分をそんな風に変えてしまうほどに魅力があったのだ。

 正直な話をすれば、平林寺という目的地以外には特別に興味を向けるようなものはないだろう。自分の住んでいる街と変わらない道。雑木林が多くあるといっても木が多く生えているだけだと歩く前は思っていた。思い込んでいた。実際はどうだろうか。何気ない道の紅葉に、野火止用水の流れに、そんな小さな出来事に心を簡単に奪われてしまった。大きな目的地よりも早く、新座の道に惹かれてしまったのだ。その時に自分は周りをちゃんと見ていないことに気が付いた。固定概念に囚われ、自分が気付かぬうちに美しいものを見逃していたのだ。新座の街は、道は、そんな自分に大切なことを教えてくれた。

 目的地に向かうまでの道のりを少し遠く感じても足を延ばして歩いてみる。何の変哲もない道だとしても、自分の心を動かす何かがあるかもしれない。有名な観光地じゃなくても、自分の見知った街でも、視野を広げて歩いてみよう。他の人から見たら面白味がないものでも、自分の中では宝物になるかもしれない。さぁ、次はどこを歩こうか。スマホの小さな画面の中には赤々と紅葉が一面に広がっている。