『おすすめ』

十文字学園女子大学 人間生活学部文芸文化学科 3年
谷 直子

 

 「綺麗だねぇ」

 すれ違った夫婦の漏らした言葉に思わず「そうですねぇ」と返事をしそうになった。そんな私の目の前には野火止の大地に沈む夕日と、燃えるように赤い紅葉があった。

 その場所は新座駅から新座市役所へ向けて徒歩20分ほどの距離に位置する。野火止用水を南西に向かって歩くとその場所はあった。小林先生におすすめの場所を伺い、教えてもらった場所である。そこはホタルの養殖をしている施設が近くにある。秋はもみじがとても綺麗に色づくらしい。私は大学生になってから一度も綺麗に紅葉しているもみじを見ていないと思いその場所に行こうと思った。

 新座駅を出た私はこもれび通りを東へ歩みながら思った。確かに自然はあるが、交通量が多くトラックも走っておりゴーゴーと騒がしい。この近くに蛍の養殖場があるなんて。なんとも失礼な話である。だが、その考えは野火止用水の道に曲がった瞬間になくなった。こもれび通りを背にして歩みを進めると、どんどん遠ざかってゆく車の音。自分の靴が砂利を踏みつける音の方が大きいのではないだろうか。夕方の野火止用水の小道は散歩をしている夫婦やランニングに勤しむおじいちゃんなど、様々な人たちがいた。もちろん、私のようにもみじの紅葉を目当てに来ている人もおり、まだもみじは見えていないが胸が高鳴った。

 しばらく歩くと小さな橋を渡る。小虫の集団が飛んでおりそれに「うっ」と顔を顰めるも、その虫たちのことすら一瞬で忘れるくらい赤いもみじが右手側に現れた。深い緋色に染まったその葉はもう秋なのだということをひしひしと感じさせる。用水路に流れる水の音も心地良い。この場所だけゆっくりと時間が進んでいるかのような錯覚に陥る。道はまだまだ南へと続いている。この先にももっと魅力的なものがあるかもしれない。唐突なもみじとの遭遇により浮き足立った私の心はまだ見ぬ境地を早く見たいと私を急かした。

 「うわ、すごい」

 つい言葉が漏れる。小さな橋を渡ってしばらく歩いたそこはまさしく「秋」の色。道が緩やかに曲がっており、手前の方にはコナラ、その奥にはまるで燃えているかのような色合いのもみじが待ち構えていた。そしてこのもみじの色は今しか見られないのだ、とも思った。それは猩々緋とも呼ばれる赤をベースに奥の方は深緋から緋色へのグラデーションに、手前の方は山吹色から段々と緋色に色づいている。オレンジと赤のグラデーションはまさに炎のようで。オレンジ色になってゆく夕日も相まって肌は冷たいのに視覚は熱いという不思議な体験をした。思わず立ち止まってそのもみじをゆっくりと鑑賞する。私と同じように立ち止まり写真を撮る人や、口々に「綺麗だね」、「こんなに赤いなんて」と話す人もいた。

 いつの間にこんな自然の中にきたのだろうと思う。蛍の養殖施設を目にした時、ここでなら蛍を育てることができると思った。今はあまり活動している気配はなかったが、夏はイベントなどを行っているようなのでぜひ参加してみたいと思う。

 最後に、ついマスクをずらして胸いっぱいに息を吸う。久しぶりに感じる美味しい空気。つんと冷たい風につられて森の匂いがした。目を閉じると鳥の囀りが聞こえる。私には知識がなくなんの鳥だろうと思っていたが、道沿いに「公園に集まる野鳥たち」という看板があった。そこには片仮名で鳴き声が記されている。あっているかはわからないが先ほど聞いた鳥の鳴き声はジョウビタキという鳥らしい。鳥の名前はカラスとスズメくらいしか知らなかったが、新しい鳥を知ることができてなんだか徳をした気分になった。

 こんなに綺麗なもみじを見て、新しい鳥の名前を知れて、そして懐かしい自然と触れ合えたことにとても心が満たされた。そろそろ日が沈む。来た道を戻ろう。でもその前に、もう一度この鮮やかな紅葉を目に焼き付ける。ここにいたのはとても短い時間だったが不思議とここにくる時よりも元気な私に驚いた。自然というものはこんなにも心を軽くするのだ。今日はいいことがあったなとマスクの下で口が緩む。帰りに大好きなお団子でも買おう。そして、家族に話すのだ。「今日行ってきたとこ、私のおすすめなの!」と。