「燃える冬」

立教大学 社会学部社会学科 2年  黒澤 孝太


 冬に紅葉狩りをしたことがあるだろうか?僕が冬の紅葉狩りと出会ったのは、留学生の友人の誘いがきっかけだった。「日本の紅葉を一度観てみたい」と彼女に誘われた時には既に12月の冬だった。僕は笑いながら「紅葉は秋に観るものだからもう観られないと思うよ」とスマホをいじりながら彼女に教えてあげた。その時の彼女の少し残念そうな顔が横目にうつり何とかしてあげたいと思い、インターネットで知ったのが平林寺の紅葉である。平林寺という名前の由来は、寺の伽藍が平坦な林野に見え隠れする様子からつけられたものらしい。ここならきっと彼女も喜んでくれるのではないかと思い、翌日、彼女を誘い一緒に紅葉へ行くことにした。新座駅の南口を出て、まっすぐ進みドン・キホーテを右に曲がる。今日はいつもよりずっと寒い日だった。何気ない話をしながらまた真っすぐ15分ほど進んでいくと平林寺が見えてくる。近くのコンビニで何か買おうと、寒さに震えながら敢えてアイスコーヒーを注文し二人で笑いあった。息も白くなり、言葉が上手くでてこない。12月に紅葉はやっぱり不向きだったのかなと思いながら少し早歩きで平林寺内へ向かっていった。しかし、平林寺へ着くとそこには寒さを吹き飛ばすように真っ赤に輝いた紅葉が僕たちを出迎えてくれた。燃えるような赤色だ。

少し時期が遅かったからなのか、レッドカーペットのように敷き紅葉が広がり、“冬”の紅葉狩りらしさを演出している。さんさんと晴れた太陽と、紅葉から差し込む木漏れ日がとても気持ちがよく心を落ち着かせる。観光は街の光を観るという言葉の文字通り、その時にしか出会えない光がある。一瞬の光が折々に重なり四季をつくるのだ。紅葉に温度はないはずなのに不思議と心が温まり、紅葉に表情はないはずなのに風に吹かれて落ちていく枯葉たちが、まるで愉快にダンスしているように見える。着くまでの寒さは一体何だったのかと思うほど、気づくと心が温まっていた。境内林には少し歩くと“片割れ地蔵”と呼ばれるお地蔵様が見える。もとは1対だった地蔵の片方を平林寺に祀ったことからこの名前が付いたそうだ。今年ももう終わりだからなのか、ただ寒いだけなのか、僕たちに見られているのが少し恥ずかしいのか、理由は分からないが地蔵が何か言いたげな表情でこちらを見ていた。「お地蔵さんと話せたらおもしろいのにね」と彼女は笑いながら、カメラのシャッターを切った。冬の紅葉も意外とありだな。なんて思いながら真っ赤な世界に浸っていた。初めての紅葉に興奮し、持ってきたフィルムカメラで写真を必死に撮っている彼女の頬は、寒さで紅葉のように赤く染まっていた。

紅葉の1枚がひらひらと舞い、地に落ちていく姿を見て、時の短さを感じ、彼女ももうすぐ国へ帰ってしまうことをふと思い出した。落ち葉を拾い集めるように、1つずつ留学生活の思い出を2人で話しながら境内を歩いて周った。気づくとあたりは暗くなっていたのでそろそろ帰ろうと平林寺を出て駅へと向かう。

「帰国前に素敵な思い出ができて嬉しい」と拙い日本語で感謝の気持ちを示してくれた彼女の姿を見て、ここへ連れてきて良かったと感じた。紅葉から降り注ぐ木漏れ日も、真っ赤に染まった紅葉も、片割れ地蔵も、寒い中無理して飲んだアイスコーヒーも、すべての出来事が良い思い出になっていてくれたら僕も嬉しいなと思いながら駅へと向かっていった。行きと同じ道のはずなのに、不思議と帰り道は何だかとても短く感じた。またどこかで遊ぼうと話しながら、僕たちはそれぞれ反対側のホームへ別れていった。その日以降、平林寺は僕にとっての特別な場所であり、僕の好きな場所となっている。