『野火止をさまようの記』

十文字学園女子大学 教育人文学部文芸文化学科 3年
西田 彩花

 

 私が初めて新座に来たのは高校三年生の夏、十文字学園女子大学のオープンキャンパスに来た時だった。見慣れぬ風景だけど、どこか安らぎを感じるような、そんな雰囲気の街の中を同年代の子たちと一緒に大学へ向かっていった。

 二回目に訪れた時もまた、オープンキャンパスがきっかけだった。すでに一度訪れたことがあるからと私は勝手知ったる街とばかりに、大学への道を歩いて行った。しかし、その帰り道、さっそく迷子になった。のびのびロールというロールケーキを買いに行くために道からそれ、店についてケーキを買えたのはいいが駅までの道が分からなくなり、気づいたら自分がどこにいるのか分からなくなっていた。数時間前の自分の思い込みが恥ずかしくなった。

 スマホの地図機能を使いながらなんとか駅まで辿り着いた時、案外近くで彷徨っていたのだという事実に若干面食らいながら帰路についた。もう迷子にはならない、このことは忘れないで覚えておこうと記憶に刻み付けながら電車に揺られていた時は、まさか次に来るのが一年以上も先になるなんて、思ってもいなかった。

 十月から授業が始まりようやく学校に通うという実感が湧いてきた頃、授業で新座市の来歴を詳しく知ることができた。とりわけ記憶に残っているのが野火止用水の周辺を散策したときだった。野火止用水は江戸時代に引かれた用水路で、主に飲料水や生活用水、田用水として利用されていた。現在でもその一部を見ることができるが、野火止付近から志木駅周辺は暗渠になってしまっている。 

 志木街道からこもれび通りに入って平林寺方面に進んでいくと、やがて野火止用水が流れる位置に着く。説明によれば、秋になると近所の農家入口にある紅葉が写真映えするという。私が見たときはまだ葉も緑色で全く色づいてはいなかったが、それはそれで青々とした葉が野火止用水の水面に映りこんでいて、月並みだがきれいだと思った。

 そこから用水沿いに歩いて川越街道(国道254号線)に出た。普段は歩道橋の上から眺めているからか、初めて来たような感覚になる。通学路から少し外れただけでも知らない街のように感じるあたり、まだまだこの街のことは知らない。これではまた迷子になってしまうと内心苦笑した。

 国道を渡ると生い茂る木々はなくなり、閑静な住宅街といった場所になった。野火止用水はここでは綺麗に舗装された場所を流れていて、子供たちの遊び場になりそうだなと思った。しばらく行くと用水の脇にこんな看板が立っていた。 

 「野火止用水は大切な生活用水でした。」 

 かつては生活になくてはならない存在だったものが、今ではお飾りのように市街地を流れている様子に、なんだか寂しさと時代の変化、そして妙に納得してしまう自分がいた。

 今までは必要だったものが、だんだんと必要とされなくなっていくのはこの用水だけでなく、例えば神社や寺などにも言えることではないだろうか。しかし必要なくなったからと言って切り捨てるのではなく、こうして生活の中の一場面に組み込むことで忘れずに保存していくのは個人的にとても好きだ。それをこの散歩の中で気づいた。 

 帰りにまたロールケーキを買っていこうと思ったのは、「のびのびロール」ののびのびが野火止から来ていると気づいたからである。新座で過ごす大学生活がすでに四分の一終わっている。まだまだ知らいない場所が多い新座の街を、行けなかった分まで歩きつくそう。そう思いながら帰りの電車に揺られた。