『こもれび通り』

十文字学園女子大学 教育人文学部文芸文化学科 2年
青木 芙美

 

 ほのかに土の独特な匂いが鼻孔をくすぐる。どうやらここでは麦を栽培しているようだ。昔から生活のために畑をやってきた住人の名残で、今でも畑を所持している場合が多い。そのような地域はどこでも見られるが、新座市は私の初めて見る景色がたくさんあった。

 毎日同じ通学路を歩いていると、ひとつ気づいたことがあった。この町は自然と文明が共存しているではないか、と。大学に近づくに連れて高層ビルや娯楽施設などは姿を消し、代わりにのどかな景観に移り変わる。川越街道を越えると、いうなれば簡素な住宅街だが、静かで非常に暮らしやすい環境が見て取れるだろう。

 あれはまだ太陽の照りつける熱がうんざり感じられるほどの暑さだったころか。通学路とは全く別の道を、授業の一環で散策した。いつも教室の窓から眺めていた雑木林が、その日は間近で、とうとう現物を見られるのだ。新座市はいつも通る道以外右も左もわからない新参者であったから、何が待ち受けているのか楽しみで仕方がなかった。

 少しばかり暑いが、時折吹く爽やかな風が気持ち良く、散歩するにはうってつけの日であった。期待に胸を膨らませ、スマートフォンを片手に意気揚々と歩みを進めた。

 まず、最初に浮かんだ感想は、畑、畑、家、また畑。とにかく畑が多いという印象だった。ちゃんと整備された田畑で、作物も順調に育っている様子だった。土の感触を少し触ってみたら、祖母の畑を思い出した。私の祖母も畑で野菜を育てていて、たまに手伝いをしたことがあるから、何となくではあるが良し悪しはわかるのだ。しかし、新座市は当然それだけではない。私が特に目を惹かれた場所がある。

 同じような家が続く道を歩いた先、注意して見ていないと見逃してしまいそうなほど主張の薄い「こもれび通り」と書いてある標識を見つけた。その場所の一角は、その名の通り木々が生い茂り木漏れ日が差し込む小さなあぜ道となっていた。「やましたはし」という小さな橋が通っていて小川のような野火止用水が流れており、せせらぎの音が心地よさを与えてくれる。散歩をしているのなら、休憩スポットとしては最適な場所だろう。

 私が訪れた時期ではまだ少し早かったらしく、もう少し経てば綺麗な紅葉が一面を彩るのだと教えてもらった。私はその美しい風景を思い浮かべ、もし恋人とデートをしていたらもってこいの場所だと感じた。黄昏時、赤い空を背景に紅葉の下で恋人と一緒に写真を撮るなんて、なかなかロマンチックだとは思わないか? 

 「やましたはし」を渡ると「こもれび通り」は長い一本道になる。背の高い木々が私を包み込むように影を作り、小枝や砂利が歩くたびに音を鳴らし、それがまた楽しくて歩き続けていく。まるで自分と自然が作りあげるハーモニーのようで、主人公になったような気分にさせてくれる。

 ふと下を見るとどんぐりがたくさん転がっていた。それを一つ手に取ると、小さいころ神社でどんぐりをズボンにポケットにこれでもかと詰め、それを持ち帰って母親を怒らせた記憶がよみがえった。

 人間は年を重ねるにつれ子供のときより新鮮な感覚を味わえなくなっていくのだろう。見ること為すことすべて同じことの繰り返しで、新しいものよりついいつもの安定したものをとってしまいがちになる。ならば、たまには童心にかえって、何もかもが冒険だったあの頃の気持ちを思い出してみるのも良いかもしれない。時間は待ってはくれないが、味方になってくれる。新座市は私たちの懐かしいを思い起こさせる素敵な街なのかもしれない。