『春の記憶が舞う道』
立教大学観光学部交流文化学科2年
瀬古 柑奈
陽だまりの中に、ふと香るあたたかな気配。私のいちばん好きな季節は春である。春になると、心の奥で小さな芽がそっと顔を出すような気がするからだ。寒い時期に眠りについていたお花たちが一斉に目を覚まし、ふわりと春の風に揺れるその様子に胸が踊る。そんな春にぴったりな場所を私は知っている。その名は栄緑道—。「大丈夫だよ、絶対ホームシックになんかならないから。」高校を卒業したあと大学進学のために埼玉県で一人暮らしをすることになった私は、心配する家族を横目に強気な気持ちで家を飛び出してきた。しかし、突然始まった一人暮らしは思っていたよりはるかに大変で、毎日が不安や時間との闘いだった。はじめての土地、慣れない生活、静まり返る夜。そんな日常を送る中である日、心を少しでも落ち着かせたいと思ったわたしはふと携帯のアルバムを開いてみた。そこに写っていたのは、地元・名古屋で開催されていた桜まつりを訪れた時の写真だった。満開の桜にほころぶ笑顔。毎年家族と一緒に訪れていたイベントなのに、今年は行けないのだなと思うと寂しさが一層増した。「せっかく思い出にすがろうと思ったのに、これではまったくの逆効果だ」そんなことを考えていた時、ふと「新座市にもこんなないのかな?」という考えが頭のなかをよぎった。まだ上京してからこの街を探索したことがなかったわたしの好奇心はかき立てられた。いそいで調べると、この新座市にも綺麗な桜並木が見える場所があるとわかった。幸運にも家からバスを使っておよそ三十分の近さ。到着するまでの道もきれいな景色が広がり、窓を彩って目を楽しませてくれた。目的地に着いてから少し歩くと、暖かい風がそよそよと頬を撫でて桜の花びらが自由自在に舞う、まるで童話に入ったかのような風景だった。時がゆっくり進んでいくような、そんな柔らかい空気に包まれながらなんだか懐かしい匂いがすることに気がつく。それは地元である名古屋でも感じた同じ春の匂い。まるで過去の自分が今の私に「ここにも春があるよ」と語りかけてくれたようだった。桜はとても不思議な花だと思う。日本の文化の象徴ともいえる桜の木は春が来ると街中に沢山みかける。しかし、その年の私の気持ちによって見え方が変わるのだ。入学時に大学の中で見かけた桜の木はとても大きかった。すぐ近くにあるはずなのに、まるで手が届かない場所にあるようだった。しかし一年経った今の私の目には、まるで身近な友達のように映る。嬉しいことがあった時は一緒に笑ってくれるし、寂しい時はただただ静かに寄り添ってくれるのだ。たった一年、されど一年。何もかもが変わってしまったこの一年で、私はどれだけ成長できたのだろうかと。綺麗事だけではどうにもならないことにぶつかって、悔しくやるせなくて思わず涙がこぼれた日もあった。でもそれと同じくらい、支えてくれた人たちとの出会いや、新しい景色に出会う喜びもあった。その全てが今の私を形作っているのだと思う。そんな気持ちで通りを進むと、私の肩にサッと花びらが落ちてきた。その一枚一枚が、まるで「がんばってるね」とそっと声をかけてくれているようで、思わず顔がほころぶ。今までのつらい日々があったからこそ、今のこの景色が胸に染みるのだ。この春の記憶は心にそっとしまっておきたいと思った。この栄緑道はただの通学路でも、観光スポットでもない。私にとっては、季節と心、そして記憶を結びつけてくれる“心のアルバム”のような場所である。「いつか家族と一緒にここに来よう。こんなに素敵なところだもの、きっと気に入るはず」そう思ったとき、家で抱えていた寂しさはとっくのとうに消え去っていた。私は晴れ晴れしい思いを胸にこの場所をあとにした。いつかこの街を離れても、春風が吹くたびに私はきっと思い出す。ひらひらと舞う桜と、「またおいで」と手を振る緑道の声を。
