『新座の出逢い』

跡見学園女子大学観光コミュニティ学部観光デザイン学科
山﨑 花峯

 

 抜け殻になった私はただ泣いている日々だった。きっかけは、大きな出来事というほどではない。自分で決断した前向きな別れだったが、自分で思っていたよりもその別れがこたえていたようだった。気持ちを紛らわすためにSNSを見るが効果はなく、食べることが大好きだが食欲がわかなかった。家に帰りたくなかった。あてもなくどこか遠くへ行ってしまいたかった。
そんな日が続いたある日、気づけば私は1人で新座の街を歩いていた。向かったのは「平林寺」。大学の授業で何度か名前は聞いていたが、実際に足を運ぶのは初めてだった。正直言えばきっと自分から進んでは行かない。今日だけは行ってみようかなと思える気分だった。こういう時でないと行かないだろう。ただ、静かな場所で1人になって少しだけ気持ちを整理したかった。
駅から歩いて向かった。早春学期が終わる頃になって初めて国道254号を渡り未知の新座に足を踏み入れた。道なりに真っ直ぐ進んでいると平林寺らしきものが見えてきた。その向かいには市役所らしきものがあり初めて新座の街中に来たのだな。と、感じた。横断歩道を渡る際、右を向くと大きな下り坂に沿って続いてく平林寺の緑と視界の先には山が見えた。まさか新座から山が見えるなんて思っていなかったためその場で立ち止まりそうになった。市役所を通り過ぎ人通りが少ない雑木林沿いを歩いているとどこか懐かしい気持ちになった。鳴り響く蝉の声と気持ちが良いやそよ風、風に揺れカサカサっと木々が擦れる音。私の地元は田んぼや緑に囲まれた田舎だ。虫かごを持って汗をかきながらその緑を駆け回った夏の幼い頃を思い出した。だが、最近は倉庫や建物に囲まれるようになってしまったため、平林寺までの道のりはとても心地がよかった。
少しそわそわしながら平林寺の門をくぐった。降り立った瞬間、空気が変わったように感じた。木々が立ち並ぶ道の先に、古く落ち着いた佇まいの寺が静かに構えている。先程感じた懐かしさと心地良さが私のからだを包んでくれた様だった。中学生の時修学旅行で訪れた京都での感覚にも似ていた。自然の音が心にやさしく響いた。境内を歩いていると、どこか時間がゆっくり流れているような気がした。風が広い雑木林の木々を揺らし、頭の中のざわめきが少しずつほどけていくのを感じる。何も考えず、ただ歩く。何も話さず、ただ木々を見上げる。それだけのことなのに、こんなにも心が落ち着いていくことに少し驚いた。私以外誰もおらず1人で歩いていた。聞こえるのは木々の揺れる音とカラスの鳴き声だけ。だけど、不思議と寂しさはなかった。むしろ、誰にも邪魔されずにただ風に吹かれていることが、今の自分にはちょうどよかった。
帰り道、バスを待っていると「次のバスはいつ来るかな?」とおばあちゃんに聞かれた。「もうきますよ」 と伝えると「ありがとうね」とニコッと笑った。その後おばあちゃんと話をしていると私の地元の千葉県野田市の事を知ってくれていた。新座で野田市の話をするのは不思議な気持ちだったがなんだか嬉しかった。お孫さんの話や新座の話など、明るく色々な楽しい話をしてくれたおばあちゃんから元気をもらった。別れ際おばあちゃんがバスから降りてバスの中の私に笑顔で手を振って見送ってくれた。別れが名残惜しかっただが、心が温かくなった感覚は今でも覚えている。ここ最近は、自分のことでいっぱいだった。うまく笑えなかったし、損失感、孤独感で自分を見失っていた。しかし、新座での1日を通して人と人との繋がりの大切さ、人の出逢いや別れには必ず意味あるものだと気づかせてくれた。その時真っ先に思い浮かんだのは家族と友人だった。目の前の幸せを改めて噛み締めることができた。
帰りの電車で私はまた涙を流していた。だが、行きの電車で流した冷たい涙ではなく、温かい涙だった。すぐに全てを忘れることはできないけれど、こうして少しずつ前に進んでいければいい。新座で過ごしたこの1日はそんなふうに自分を静かに励ましてくれた。