「新座の歴史を伝えるのは」

立教大学 観光学部交流文化学科 2年  吉田 開


 神社がやけに多い。そう気づいたのは大学に入学して一か月ほどたった頃である。いつもはまったく気にかけていなかったが、この街を歩いていると雑踏の中にひょっこりと、まるでそこだけ別世界に繋がっているかのような小さな鳥居が、私以外は誰にも見えていないといわんばかりに出現するのである。私の通う立教大学の新座キャンパスはちょうど東京都と埼玉県の県境あたりの新座市に位置している。私は大学入学を期に地方からこの地に移住してきた。地方では町、村ごとに何個も神社があることは特段珍しいことではないが、ここは全国的にみても都会の方に分類されるだろう。それなのに、特に観光客には知られないようなとても規模の小さな、訪れる人は地元の人々だけというような神社が、開発が進む町の中で残っているというのはどうにも興味深く、一度気づいてしまうと気になって仕方がなくなってしまった。

 数多くある新座の神社の中で私の一番のお気に入りは、大学の南側にある「稲荷社」なのだが、ここは境内に鳥居と祠以外に何もないので、手掛かりをつかむべく野火止にある神明神社に訪れた。

 やはり神社に住宅が切迫しているのは田舎者の私からすると新鮮であるが、境内は木に覆われていて神聖な雰囲気である。鳥居の正面に立ってみる。鳥居が4基連続しているのが特徴的だ。丹塗りではないけれど、どこか京都の伏見稲荷神社を想起させる。社名標には「村社神明神社」と刻まれている。「村社」というのは昭和21年(1946年)まで使われていた神社を等級化した制度の名残であり、この神社が主として村の人々に大切にされていたことを教えてくれる。神社の中心である拝殿は予想より大きいものだったが華美過ぎていることはなく、質素な感じでなんだかノスタルジックというか、懐かしい感じをいだかせてくれる。そして気になったのは拝殿の横にぽつりとある祠。調べたところ、ここら辺の地区にあったいくつかの「稲荷神社」をまとめてここに祀っているようだ。さらに、このあたり一帯の野火止地区は火山灰でできた土壌で、飲み水に困るほど治水はよくなかったようで、そこに江戸時代に新田を開発しようとしたのだから、その苦労は想像に難くない。最後には野火止用水ができて今のように発展した都市になっているがその根底には名前もわからない人々のたくさんの努力があったのだろう。


 ここにきて私はやっと合点がいったが、これを読んでくださっている皆さんの中にはもう気づいた人がいるかもしれない。稲荷神社といえば狛犬の代わりに狐がいるというイメージが強いが、実は農業の神様をお祀りしているのである。つまり、最初に出てきた「稲荷社」、「神明神社」の「稲荷神社」も農業をすることが難しいこの土地だから積極的に祀られたことが考えられる。そして新座市に存在する神社は稲荷に関する神社が比較的多い。

 新座市にある神社は、こういった歴史があったからこそ今日まで残ってきたのだと思う。そう考えてみると、何の変哲もない小さな小さな神社が、私という1人の人間とこの土地を開墾した人々を繋いでいるようだ。歴史を伝える沈黙の話者である。