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 平林寺の由来 
 平林寺は、関東地方でも名高い古刹の一つです。武蔵国騎西郡渋江郷金重村(むさしのくにきさいぐんしぶえごうかなしげむら)
(現在のさいたま市岩槻区)に、永和(えいわ)元年(1375年)大田備中守(おおたびっちゅうのかみ)によって建てられました。
 開山は当時、鎌倉建長寺の住持(じゅうじ)をしていた石室善玖禅師(せきしつぜんきゅうぜんじ)です。
 天正18年(1590年)戦国の争乱による兵火のため堂宇(どうう)の大半が灰燼(かいじん)に帰しましたが、翌年、徳川家
康は鷹狩りの時に、焼け残った寺の塔頭
(たっちゅう)で休み、寺院の由緒と石室善玖の高徳を知り、再興を約束しました。

 翌天承20年、家康は、静岡臨済寺の鉄山宗鈍禅師
(てつざんそうどんぜんじ)を迎えて中興開山しました。その後、雪堂
(せつどう)
禅師が跡を継ぎ、寺の伽藍を再興しています。

 寛文3年(1663年)石院禅師の時代に、川越城主松平伊豆守信綱
(まつだいらいずのかみのぶつな)の遺志を継ぎ、その子
輝綱によって野火止の地に移され、七堂伽藍
(しちどうがらん)が整備されましたが、慶応3年(1867年)12月、本堂庫裏
(ほんどうくり)
等が火災に遭い消失してしまいます。

 明治13年(1880年)、藍渓禅師が再建し、今日に至るまで、その歴史は実に630余年を数えます。

 半僧坊大祭
 普段は禅の修行道場として静寂な平林寺境内ですが、例年4月17日には半僧坊大祭が行われます。

 この半僧坊とは文字どおり半僧半俗の人を指し、不思議な神通力を持つ老翁の霊験は、安全福徳の守護神として
広く信仰を集めるようになりました。大祭当日は雅楽師を先頭に近隣法類のお練や稚児行列につづき、感応殿
(かん
のうでん)
で大般若経(だいはんにゃきょう)の転読(てんどく)などが行われます。また、植木市や露店も多数出展します。
 伊豆殿行列
 今からおよそ350年前、新田開発をした人々の飲料水確保のため、野火止用水を開削した川越城主松平伊豆守
信綱が、現場視察するため、家来、工事人達を従えて目的地に向かう場面を想定した行列です。半僧坊大祭の日
に行われます。